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Tuesday, December 18, 2012
ミロ・ミヤトビッチ Vs ヤクザ - オーストラリアの全国紙 "The Australian" の記事
日本のホテルの一室に監禁され、こめかみにベレッタ9mmのピストルを押し当てられ、オーストラリア国籍のビジネスマン、ミロ・ミヤトビッチ氏は心の中で生死をめぐる悲痛な計算を始めていた。状況から言って、死に至る可能性もあるが、確かとは言えなかった。
「私は身長が1m98cmあるので、これくらい大きな死体となるとホテルから運び出すのも大変だろうと見越していたのです。」と彼は振り返る。
ミヤトビッチ氏は部屋の隅の椅子にどっしりと座っていた。時間がどんどん過ぎていき、部屋にはヤクザ(日本のマフィア)が引切りなしに吸うタバコの煙と、彼の冷や汗の嫌な匂いが充満していた。「時々、[リーダー格の男が]感情を爆発させ、テーブルをドンと叩き「お前は自分が何をやっているのかわかってない!」と怒鳴り出しました。」とミヤトビッチ氏は回想する。
格闘技プロモーターだったミヤトビッチ氏は、3日間にわたり、このように拘束され、ブームに沸く格闘技業界の「敏腕代理人」の役割を放棄するようヤクザに迫られた。自分が担当するファイターをヤクザに譲り渡すことに合意署名して初めて、国外に永久退去するという条件付きで無傷で解放された。水泳のイアン・ソープ選手の日本での世話役も務めていたミヤトビッチ氏は、国外に脱出する代わりに警察に行って捜査を始めてもらい、それが莫大な利益をもたらす日本の格闘技試合の崩壊につながった。
殺し屋から身を隠して過ごした数年間を経て、ミヤトビッチ氏はついにヤクザとどう対峙したか明らかにする覚悟ができ、日本最大のスポーツ不祥事のひとつを暴露した。「私を脅した2つの暴力団は、もう解散してしまいました。」とミヤトビッチ氏は、ザ・オーストラリアン東京支社に拉致の話をしに来た折に、ウィークエンド・オーストラリアン・マガジンに話してくれた。彼は、警察の組織的活動が暴力団に打撃を与え、それが自らの体験を語る後押しとなったと語った。
日本社会におけるヤクザの役割は複雑である。刺青があって、ことによると小指をつめている悪党というイメージは、暴力団員に対する一般的な認識であり、売春やみかじめ料徴収へのヤクザの関与は広く報告されている。あまり知られていないのは、日本の文化面、政治面、商業面での生活にいかに組み込まれているかという点だ。やくざ者に対する暗黙の容認は、日本では1600年代の出現当初から続いており、暴力団が名刺を持ち、暴力団名義の建物を持って自由に商売をすることができるようになっている。
しかし、これがすべて変わり始めている。ミヤトビッチ氏は、2010年に暴力団対策を専門とする猪狩俊郎弁護士がマニラのホテルで殺されたとみられる事件(2007年の暴力団幹部による長崎市長射殺事件に続いて)が、自治体の間に今だかつてない結束を呼び起こし、日本中で同様の暴力団対策法が成立したとしている。「あれは、本当に多数の暴力団を骨抜きにしました。」と彼は言う。ヤクザは生存をかけた闘争とでも言うべきものを続け、従来からの犯罪拠点である九州では最も激しいが、彼らの栄光の日々は本当に終わったというコンセンサスが高まってきている。
「私は過去10年間にわたり、日本社会の変化を見てきました。」とミヤトビッチ氏は言う。彼は現在も日本を拠点として、東京でホテルおよびスポーツマネジメント会社を経営している。「人質に取られた2003年か2004年頃、日本では、暴力団は避けがたい現実としてそれなりに受け入れられていました。」
最も恐れられている暴力団山口組の分派の手にかかった試練を回想し、ふさふさした黒髪を手でなでつけて、「あのとき、髪はほとんど抜けてしまいました。」と茶化したように笑って言う。
ミヤトビッチ氏(45)は、シドニーの西に当たる郊外ペンリスで、クロアチアからのブルーカラーの移民家庭で育った。背が高くてスポーツが得意な子どもだったから、ケンカはほとんど回避できたが、ケンカになった場合には彼に有利な結果に終わった。両親は彼と弟を地元のカトリック系の学校に行かせるためにせっせと働いた。ミヤトビッチ氏は、マッコーリー大学法学部に入学し、より良い人生のチケットを手にした。
最終学年のクラスでは首席になって、トヨタや三井物産などの日本の一流企業をクライアントに持つ法律事務所に就職した。東京に異動になり、アジアでの大規模な資源・インフラプロジェクトの法務を担当するキャリアへとつながった。目まぐるしい7年間が過ぎ、その間に一度結婚に失敗して、世の中に嫌気がさしたミヤトビッチ氏は、すでに長年暮らした東京で、新たなスタートを切ろうと模索していた。
それで、スポーツプロモーションをやってみることにし、水泳のソープ選手の日本での世話役を始めた。ソープは2001年に福岡で開催された世界水泳選手権で電撃的な活躍をし、日本で非常に人気を集めていた。その後、ミヤトビッチ氏は、2002年日韓共催FIFAワールドカップ開催中にクロアチア代表サッカーチームの世話をした。そして、ついに同じクロアチア出身の髪を短く刈り込んだ自信たっぷりの総合格闘技のファイターに出会ったのである。ミルコ・“クロコップ”・フィリポビッチのマネジメントを引き受けたことで、ミヤトビッチ氏は、旧東側諸国出身の無愛想で、素手で人を殺せそうな筋骨隆々の男たちがひしめくいかがわしいウオッカ浸りの環境に入っていくことになったのである。
秩序ある穏やかな戦後の日本が、プライドやK-1といった総合格闘技団体が興行するこのような野蛮で反則規定のない「ケージファイト」のハブになったことは、信じがたいことである。しかし、この国で暮らしてきた誰もが言うように、日本にはいくつもの違う顔があり、それらは一見ほとんど互いに関係のないパラレルワールドである。当時、日本の民放テレビ局6局中3局が、金曜夜のプライムタイムに総合格闘技かキックボクシングの試合を放送していた。日本の何百万もの世帯に試合を放送し、業界のトップ争いをしていたのである。
「当時、日本では(格闘技が)野球、相撲、その他各種のメジャースポーツと同じくらい人気があったのです。」とミヤトビッチ氏は言う。大金の魅力が、格闘家を旧ソ連やバルカン半島から東京へと引き寄せた。しかし、ミルコ・フィリポビッチを含め、ほとんどの格闘家が、最大の分け前はプロモーターが確保するか、他の者に持っていかれてしまうことに気付いた。
「ミルコは、K-1のマネジメントに関して問題を抱えていたのです。私がマネジメントを引き継ぎ、彼を日本で一番ホットな格闘家にしたのです。」とミヤトビッチ氏は振り返る。程なく他の不当に扱われていた外国人格闘家と契約を結び、やがて、2003年大晦日に、恐れられている山口組の本拠地・神戸市で開催される格闘技イベントのテレビ中継の計画をめぐる暴力団との衝突へのコースを確実に歩み始めたのである。
「もっとよく目を見開いていれば、[格闘技試合には]そういった人たちが関与しているとわかったはずなのですが。」とミヤトビッチ氏は認める。「彼らが最初にしたのは、私のファイターへの妨害でした。ファイターが負傷するようにファイターを買収し始めたのです。報復として彼らのファイターと契約を結び始めたのですが、それによって手に負えない事態になりました。12月には、脅迫されるようになりました。日本人はたぶん、私がヤクザを怒らせたと言うでしょう。事態はエスカレートして、私のところにやって来て、保護してやると言う者までいたものでした。試合が近づくにつれ、あからさまに脅しをかけてくるようになりました。」
ミヤトビッチ氏は自宅を離れ、44,000人の観客を呼び込むイベントを開催するために時間を確保しようと密かにホテルにチェックインした。イベントの2日後、暴力団は行動を起こした。「基本的に私を捕まえて、3日間人質として拘束したのです。」
ミヤトビッチ氏は、襲撃者に(法的理由により名前は明かせない)プライドの主催企業にファイターを引き渡せと言われたという。「私がそのような契約書に反対し、署名を拒否すると、私の右手にいた男が、ホルスターからピストルを取り出して、テーブルに置きました。契約書への署名を拒否し続けると、ピストルを持ち上げて、「署名しないなら、どうなるかわかっているな。」と言いました。そのとき、私はこう思いました。おそらくそれは正しかったと思います。撃つとしても、ホテルでは撃たないだろう。撃ったら厄介なことになる・・・それに私のような巨体を運び出したりすれば、目立つはずだ。」
ミヤトビッチ氏は、契約書を英語で書き直してほしいと言い張った。そうして時間を稼いだのだ。しかし、3日経つとヤクザの我慢が限界を超え、彼はファイターをめぐる契約に無理やり署名させられた。翌日、家族を連れてシドニーに帰った。「あの男たちがいなくなるや否や、私たちは飛行機に飛び乗ったのです。生後1カ月の子どもがいましたから。」
ミヤトビッチ氏は怖いとは思っても、屈しようとは思わなかった。社会人生活のほぼすべてを日本で過ごしてきて、こういった輩がただ力ずくで彼のものを横取りしていった。さらに悪いことには、ビジネスパートナーが神戸でのイベントの売上金100万ドルを持ち逃げし、彼を破産寸前に追い込んだのである。徐々に彼の怖れは怒りへと形を変えていった。オーストラリアで1カ月過ごした後、報復を決意して日本に戻った。「基本的に私はプライドに関して警察のおとりになったのです。翌年丸一年間、プライド打倒のために警察に協力しました。」
ミヤトビッチ氏は、乳飲み子を抱える日本人妻にはほとんどの実情を隠し、二人をオーストラリアに留まらせた。また、都内にある米国、ロシア、中国大使館の厳重なセキュリティの恩恵を享受すべく、その近くにアパートをいくつか借りて、その間を飛び回った。ヤクザが彼の命を狙っていることを知っていたのである。
ミヤトビッチ氏によると、警察の捜査で明らかになったことのひとつは、彼が監禁されたホテルの部屋は、山口組幹部、高山清司のクレジットカードで予約されていたということである。高山は日本で最も悪名高いヤクザのひとりで、片目である(刀傷により片目を失った)。高山は2010年に警官140人態勢の捜索を受け、建設会社から50万ドルを恐喝した容疑で逮捕された。
「警察の注意は、突然 、私が追っていた男から、警察が追っていた男に移りました。」とミヤトビッチ氏は言う。「私は本当のところ、この国一番のマフィアのボスを倒す男に突然なろうなんて思っていない、と警察に告げました。私が何をしようと、それがおそらく運命を左右する決定になるとわかっていました。警察は私とヤクザとの停戦のような取引を仲介してくれました。私にとって、それは十分に公正なものでした。私はこうしてここで生きています。すばらしい成果です。」
暴力団対策で知られた故猪狩俊郎弁護士は、ミヤトビッチ氏が警察に訴え、試練を終わらせる取引を仲介するのを助けた。彼の死後に出版された本の中に、ミヤトビッチ氏の拉致監禁のことが書かれていた。同書は、ミヤトビッチ氏がウィークエンド・オーストラリアン・マガジンに語った話を裏付けている。取引により、ミヤトビッチ氏の命を狙う件はご破算になった。ただし、彼は格闘技試合に戻らないこと、また、拉致監禁に関して刑事告訴しないことに合意しなければならなかった。
総合格闘技プライドは放送打ち切りとなり、2007年にケージファイトのプロモーションをやめた。しかし、ヤクザは、他のもっと利益になる話にいろいろ手を出していた。相撲や他のスポーツへの関与は、まだ全貌が明らかになっていない。
伝統的にヤクザは、一部の、警察さえも含む日本人の間にある「旧知の悪」の方がいいという一般的な見方に立脚して商売をしてきた。すなわち、日本の暴力団は少なくとも構造を地下に置いていて、より残忍で冷酷な外国の犯罪シンジケートによる被害が社会に及ばないようにしているという見方である。
また、ヤクザは、悪評も吹き飛ばした。1995年の阪神大震災の際に、山口組がヘリコプター1機を含む自前の資源を動員して正規の緊急救援サービスよりも迅速な危機対応を行い、政府当局に勝る働きをして以来、悪評は大きくなっていない。
しかし、暴力団撲滅運動の猪狩弁護士の死に対する一般市民の怒りのおかげもあって、日本の法執行機関は、暴力団との闘いを宣言した。「ヤクザの不文律は、政治家を殺さないこと、警察や検察には手を出さないこと。」とミヤビッチは言う。「この一線を越えたので、日本の機関からの反発と新たな暴力団対策法が生まれたのです。」
昨年10月まで日本の警察庁長官を務めた安藤隆春氏は、国から組織犯罪を排除することを定期的に固く約束することで、新たなムードを総括してきた。また、バラク・オバマ政権は、海外でのヤクザの活動に圧力をかけ、オバマ大統領は、山口組、並びに高山と山口組組長・篠田健市に経済制裁を課す大統領命令に署名した。
東京弁護士会民事介入暴力対策特別委員の井上俊一弁護士は、この新法は暴力団にとって死活問題となったという点でミヤトビッチ氏に同意している。「日本の組織犯罪が、最近 ひどい苦境にあるのは間違いない。」と井上弁護士は言う「この新法に関して重要なことは、市民や企業に組織犯罪と取引しないことに責任を負わせている点である。したがって、主要企業は、供給業者や請負業者に組織犯罪に関わっていないことを保証するように圧力をかけており、企業はビジネスパートナーが関わる可能性のあるつながりについて積極的に調査し始めている。
暴力団に対する抑制にもかかわらず、暴力団は数の上では依然として強い。警察庁は全国で約70,000人と推定している。九州では、警察が暴力団関連の暴力を鎮圧しようという取り組みで何千人もの組員との闘いを繰り広げている。
また、取材ジャーナリストでヤクザを専門とする鈴木智彦氏によれば、昨年の福島第一原発での災害は、ヤクザに待ち望んでいた頼みの綱を与えたという。鈴木氏は、災害を受けた原発に潜入し、ヤクザが日雇い労働者を供給している証拠を手にして現れた。このような人々は、ヤクザにちょうど借金があったのである。記者会見で、鈴木氏は、原発作業員の10人に1人がヤクザと関係があり、震災直後に放射線レベルが非常に高い中、原子炉の冷却に尽力した伝説的な「フクシマ50」の3人も含まれていると述べた。
このように機会を迅速に捉える能力を持つのがヤクザであり、それこそが、現在非常に不利な状況にあるにもかかわらず、彼らが常に形を変えて存続していく可能性がある理由のひとつである。 「あいつらは、ゴキブリのようなものだ。」と、ヤクザがどのように商売をしているか間近で見た東京のビジネスマンは言う。「何が起ころうと、全滅させることはできない。」
http://www.theaustralian.com.au/news/fight-club/story-e6frg6n6-1226532019774
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